こんばんわ。
お越し頂き有難う御座います!!
昨日の話続きとなります。
ぜひ前回の話から読んで頂きたいです。
山口県周南市大津島馬島“回天の島“


 
歴史4

この大津島は“回天魚雷“の訓練基地だったのですが訓練中に命を落とした若者がいます。
この“回天“草案者の1人黒木大尉も訓練中に命を落としました。
訓練当日海の状況が悪化しており訓練を中止する予定でしたが
黒木大尉は「天候が悪いからといって敵は侵攻を待ってくれない!」
と嘆願をし黒木大尉自身乗船しました。

やはり海が荒れていた為魚雷は海底に突き刺さり
必死の捜索も虚しく、徐々に魚雷内の酸素が無くなり酸欠で亡くなったとの事です。


狭く息苦しい海底に沈んだ“魚雷“の中で迫りくる自分の死と向き合いながら
黒木大尉が書いた遺書とこの事故の原因追及報告書を残しています。

黒木大尉享年22歳でした。
岐阜県下呂市(黒木大尉の故郷)に“回天作戦“で亡くなった若者達と黒木大尉の記念碑があるそうです。

その黒木大尉の遺書等レプリカも展示されています。

殉職を知りながらも隊員の士気は下がらなかった様です。



“神風特別攻撃隊“の成果は直ぐ発表されたのに対して
この“回天“作戦を国民に知らされたのは出撃の約半年後でした。

日本は艦船、航空機を使い果たしてしまい
海からの特攻“回天作戦“に頼るほかありませんでした。

幾度の“回天作戦“実行後、更に日本各地に88基の“回天“が配備されましたが
有難い事に終戦を迎え、88基は出撃を逃れました。 

大津島は訓練基地だったのですが実際に出撃しています。

日本各地より若者が集まり互いを励まし合いながら
豊かな生活ができる国になると信じて命を落として行った。

同情の涙が自分の情けなさの涙に変わり
最後はただ涙が止まらない。
数日前まで悩んでいた事も涙で落ちていき空っぽになりました。

※私の記憶を元に手紙の内容などは書いております。
間違っておりましたら申し訳御座いません。
画像は回天記念館のパンフレットを使用させて頂きました。


明日も続きます。
長くてごめんなさい🙇‍♀️
今日もNOポンコツ・・

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ぽん活




 
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